TADAFUJIKA
タダフジカ
BIOGRAPHY
■生誕~学生
東京都北区滝野川生まれ。学生時代を『中途半端な不良』として過ごす。勉強も人付き合いも『平均以下』だったが、独り遊びだけはちょっと得意だった。(当時はスケートボード)思春期に突入しても『なりたい自分』ビジョンがなく、「二十歳なったら死んでるし」と現実逃避ばかりしていた。
■バンドマン※パンク編
20歳の時に出会ったメンバーとパンクバンド『SLOT』を結成。『HANG OUT出演』を目標とし、yahoo翻訳を駆使した英詩の自作曲を武器にLIVE活動開始。ちなみに担当は『Vo/Gt』。1stデモテープを福島在住の女子高生へ送ったところ『ボーカルが変わればよさげ!』と意見をもらい自信喪失、『音楽性の違い』とウソをつきバンドを解散させる。
1年後、『俺、もともとギタリストだし』と開き直り、大学生ばかりのスカパンクバンド『YEBISU』を結成。営業力確かなメンバーのおかげで地方ツアー、オムニバスアルバム参加などそれなりに充実した日々を過ごす。しかしメンバーの就職等事情が重なり解散。
■バンドマン※ジャマイカ編
出会いと別れを繰り返し心も耳も疲れていたのか、JAMAICAのROOTS音楽をあさりはじめる。
メン募で知り合ったスカバンド『The Japonicans』へ加入。これからという時だったのに『俺はスカだけにとらわれない!』と自身を過大評価。半年たらずで『The Japonicans』を脱退。その後、アコースティックユニットを組んだりなんちゃってブラジル系バンドを組んだりするものの、続かず。タワレコに並ぶ『The Japonicans』のCDを見て、勢いで辞めた事を激しく後悔する。
その後悔が一方的な恨みへ変換され『野崎withSimon&eiters』という下ネタバンドを結成する原動力となる。都内各地で下品をやらかし、出禁になった居酒屋は数知れず。
下ネタバンドを続けつつも、それだけでは自分を保てる自信がなくなり、レゲエバンド『RAGGA-G&DA SPARS』に加入。ダンスホールレゲエ界を知る。精力的に活動するものの、業界の闇に触れビビッて脱退。同時期に『野崎withSimon&eiters』も自然消滅していた。
■ソロ活動
音楽どころか人生に疲れはじめていた頃、歌いたくて出演した『無力無善寺』で月乃光司氏と出会う。その時行ったセッションをきっかけに『タダフジカ』として活動開始。”即興性が重視される朗読とのセッションで『真面目に練習しないとヤバイ』と気づいた時には30歳を過ぎていた。
”追求するほどシンプルになっていく”そう誰かが言ったかは知らないが、ドラムもベースもいない、ただ自分だけがリズムでありコードでありメロディである、そんなギタースタイルへ移行していく。
現在はアコースティックを基調とし弾き語り、ReggaeDeeJayや詩人、パフォーマーとのセッション等、幅広く活躍中。